言語聴覚士、という職業があるのを皆さんご存知ですか? 言語聴覚士とは、言葉や認知、聞こえなどに障害のある方に専門的な訓練・指導を行うリハビリの専門家のこと。大平裕太郎さんは、いわきでまだ数少ない言語聴覚士の1人であり、言語を中心としたリハビリステーションを運営する経営者でもあります。言語の障害をとりまく環境、そしてそのリハビリの現場のこと、じっくりとお話し頂きました。
大平さんが言語訓練を中心とした「ことの木リハビリステーション」をオープンさせたのが昨年秋。大平さんを含む3人の言語聴覚士、そして1人の作業療法士が所属しており、障害を抱える方々のご自宅に出向き、リハビリのためのさまざまなプログラムを実施しています。
リハビリとは、身体に障害を受けた方が再び社会に復帰できるようにするための総合的な訓練や援助のことを指します。正式には「リハビリテーション」と呼びますが、リハビリには「理学療法」、「作業療法」、「言語聴覚療法」の3つがあり、それぞれ中身も違います。
理学療法は、何らかの病気やケガの後遺症を持つ方に対し、運動療法や物理療法を用いて機能の改善を図るもの。立つ、座る、歩くといったような基本的な動作を回復するための訓練を指し、理学療法士の皆さんは、スポーツリハビリの現場や、病院・老人保健施設などで活躍しています。
これに対して、指を動かす、食事をするなど、日常生活を送る上で必要な機能を回復するための訓練や指導が作業療法です。身体的なものだけでなく、社会的に適応していくための心のサポートも含まれ、多くの場合、理学療法の後を継いで行われます。障害者福祉施設や児童養護施設などで働いている作業療法士も大勢います。
言語聴覚療法は、言葉や聞こえ、認知などに問題がある方々に対して、訓練や指導を行い、思いを伝え合う喜びを持てるように支援すること。脳卒中などが原因で発生する失語症、聴覚障害、言葉の発達の遅れなどに対し、医師の指示のもと訓練のプランを作成します。言語聴覚士とは、この言語聴覚療法を行うリハビリスタッフのことを指します。
大学を卒業したあと専門学校に通い資格を取得して、独立するまでは市内の病院に所属していました。いつか独立しようとはまったく思っておらず、結果的に独立することになったという感じでしたね。きっかけは東日本大震災です。ボランティアセンターや避難所に行って「言語聴覚士なんですが、何かお手伝いさせて頂くことはありますか?」と言って回ったんですけど、実際には「何それ?」「そんなの必要ない」なんて対応ばかりで。知られてないんだなと。
実は、それと同じことが医療の現場にも起きていました。例えば脳梗塞などで倒れた方に言語障害が残っていても、手足が動くようになると半年くらいで退院させられてしまうんです。失語症をはじめとする言語障害のステップアップはとても時間がかかるので、退院した後のことが大事なんですが、身体の機能回復や生活動作へのアプローチを中心に据えることが多い医療制度では、退院した後の言語聴覚療法の重要性があまりにも理解されていないのではと感じます。
無理もないんです。例えば、理学療法士って日本全国で11万人近くいるんですけれども、我々言語聴覚士は2万人足らずですから。でも、私たちの支援を必要としている方はいらっしゃるわけで、だったら自分でやるしかないかなあと思って、小さなリハビリ事業所をオープンさせました。
言語障害は、障害のタイプにもよりますが、訓練を受けたとしても「完治」することはなかなか難しいものです。入院して手厚い機能訓練を受けることができるのは、発症してから最長6ヵ月までと国のルールで決められており、入院中に担当している病院の言語聴覚士は、ご本人が退院してしまうとそれでお付き合いが終わってしまうこともあります。
一方でご本人はというと、退院したあともずっとご自分の症状と付き合っていかないといけないんですね。ですから、本来は退院したあともずっと支援を続けていくことが必要なんです。今の日本の医療の考え方は、回復が一気に進む初期には介入するんだけど、回復が頭打ちになるとすぐに退院させてしまう。でも、言語障害の方々への支援は、むしろ退院した後のほうが大事だと思っています。
—失語症の方々に寄り添う
ことの木リハビリステーションの訓練を受ける人の半分以上が「失語症」という病気を抱えていらっしゃる方。失語症とは、大脳の言語中枢が何らかの損傷を受けることによって、言語を操る能力に障害が残った状態をいいます。主な原因は、脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)、事故による頭部外傷、脳腫瘍などがあげられます。
失語症になると、話し言葉だけでなく、言語にかかわるすべての作業が難しくなります。聞いて理解する・話す・読む・書くなど、言葉に関する能力に障害が起こるので、言葉によるコミュニケーションが難しくなるうえ、自分がどんな状態にあるかを伝えられず、周囲が言っていることもなかなか理解できない。多くの苦しみがそこにはあります。
失語症の言語訓練では、何かしらの絵が描いてあるカードをお見せして「これは何ですか?」というようにしたりするなどの方法で、絵(意味)と言葉(音)を一致させるような訓練を提供することが多いです。もちろん私たちもカードで訓練を行うことはありますよ。でも、基本は「会話」だと思います。その方の話を聞くほうが重要かもしれません。リハビリというよりは「ケア」に近い。支えていくイメージです。
ですから、病院での訓練ではなく、自宅でのケアに重点を置いています。実は、私も家族が失語症だったんです。そのせいもあってか、かえって病院の訓練室に違和感を感じていました。喋るという行為はごくごく当たり前のことですよね。それなのに、訓練室にいる時だけ訓練で喋るということが普通になっている。そうではなく、日常の暮らしのなかで会話していくということが大事だと思うんです。
また、発症から半年が過ぎ、発症した頃よりかなり上手に話せるようになっていたとしても、退院して家に帰ってくると、家の中に引きこもりがちになることが多いのも、言語障害の特徴かと思います。どうしても話せないという劣等感があるので、人の前に出なくなってしまうんです。バリアーフリーが浸透してきて、身体の障害に対する理解も高まってきましたし、話すことや聞くことに障害のある方も、手話の通訳者を介すれば代弁してもらうこともできます。でも、失語症の場合は、それもなかなか簡単なことではないんですね。
失語症になっているご本人は私たち言語聴覚士がどこにいるのかといったことをなかなか調べることができません。ですから、ご家族やケアマネージャーさんが失語症の症状に気づき、言語聴覚士にリハビリを依頼して頂くしかないんですね。でも、そもそも失語症という病気自体があまり知られていません。失語症の患者は、多くの場合、身体にも麻痺が残っていることが多いので、「痴呆症」や「記憶障害」と混同されてしまう。とても歯がゆいですよね。
―コミュニケーションの断絶を乗り越える
助けを必要としているのに、その人は助けを呼ぶことができない。身近な家族ですら、その人が何を考えているのか、そしてその人とどう接していいのか分からない。失語症の現場には、そんな「コミュニケーションの断絶」があるようです。そのような現場で、大平さんは「障害を持った人のご家族や地域社会にも、問題を解く鍵があるのではないか」と考えるようになったといいます。
例えば、旦那さんが脳梗塞になって言語に障害が残ると、奥さんが「お父さん私の名前わかる?」なんて聞くわけですね。でも旦那さんの口からなかなか名前が出てこない。すると「ああお父さん忘れちゃったんだ、記憶が戻ってないんだ」みたいに思ってしまう。でも、旦那さんはその名前を言えないだけ。痴呆でも記憶障害でもないんです。
いろいろな名前を紙に書き出して、1つだけ奥さんの名前入れておくと、失語症の方はしっかり指差してその名前を示してくれますから、わかってるんです。でも痴呆だとそうはいきません。伝えたい気持ちがあるのに、家族から「お父さんボケちゃった」なんて言われてしまうのは、本当に悲しいですよね。
結局、失語症というのは「コミュニケーションの問題」なんです。ですから、ご本人だけに訓練するだけでは不十分で、ご家族が取りやすいコミュニケーションの方法を理解頂くことも大切なことです。訓練中は家族が待合室で待つなんていうリハビリでは家族も訓練室の中でどのような言語訓練が行われているかが分かりにくく、そういった意味でもやはり病院ではなく家庭に赴くほうがより良いコミュニケーションの場があるように感じます。
―言語の障害を取り巻く、社会の壁
失語症に対する認知不足の問題は、一般市民だけでなく、医療の現場や行政側にも蔓延していると大平さんは指摘します。つまり、社会の側にこそ多くの障害があるのです。リハビリが必要なのは、むしろ私たちのほうかもしれません。
例えば、介護保険の認定方法や一般的な認知症の検査では「あなたの名前教えて下さい」、「今日の日にちわかりますか?」などの質問をするんですが、どうしても言葉で実施されてしまうので、失語症の方はうまく答えられません。でも、うまく話せないという表面だけを取り上げて、画一的に「これは認知症ですね」なんて判断されてしまうこともある。そういう認定方法にも大きな問題があるんですよ。
それから、医療制度の問題もあります。私たちは、偶然にも復興特区の認定を受けて規制緩和されているおかげで、患者さんのかかりつけ医と直にやり取りをしたうえで訓練を提供することができるのですが、本来は、リハビリスタッフだけで事業所を立ち上げることはできないんです。通常は、病院や、病院外であれば看護師のいる訪問看護ステーションなどにリハビリスタッフが所属することになります。訪問看護ステーションのほうが、リハビリステーションよりも先に世間に認識されているってことなんです。
そういうところを解決していくには、まずは言語聴覚士や、失語症などの言語障害の方がこの街の中に居るのだということを、市民の側から声をあげていく必要があると思っています。
おかげさま、私たちの事業所を利用して下さる方も増えていますし、強くやりがいも感じていますが、2年後に復興特区の期限が終了すれば、我々も会社を畳んで病院に戻ることになるかもしれません。まぁ本当にそうなってしまうかもしれませんけれども(笑)。
それでも、東日本大震災がきっかけとなって、今まで誰も実施することができなかった単独型の訪問リハビリ事業所の運営にチャレンジができる機会を得ているわけですので、5年後、10年後に、「いわきは日本でいちばん地域リハビリの仕組みが進んでいる街」と皆さんに言って頂けるよう、1人でも多くの方に、知って頂くための啓発を続けていきたいと思います。
profile 大平 裕太郎(おおひら・ゆうたろう)
1984年いわき市常磐生まれ。言語聴覚士。
いわき市立総合磐城共立病院勤務で5年間勤務し、現職。
前職では病院開院初の言語聴覚士として部門の立ち上げに関わる。
2年目に東日本大震災を経験。祖父が失語症だった
information ことの木リハビリステーション
http://kotonoki.com/station-uchigo/
事務所:〒973-8405 いわき市内郷白水町桜田6-6
電話:0246-51-5022
GochamazeTimesCompany
全国各地にライターやプロボノを抱える編集社。タブロイド紙|GOCHAMAZE timesの季刊発行、および、地域の方々と共創するごちゃまぜイベントの定期開催により、地域社会の障害への理解・啓発|年齢・性別・国籍・障害有無に限らず多様な”ごちゃまぜの世界観”をデザインし続けている。
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いわきでまだ数少ない言語聴覚士、大平裕太郎さんに、言語の障害をとりまく環境、そしてそのリハビリの現場のこと、じっくりお話し頂きました。
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