GOCHAMAZE timez(ごちゃまぜタイムズ)
いわきから「ごちゃまぜ」 あらゆる障害のない社会へ

テラからはじまる人と人の輪

中平 了悟さん

SOCIALSQUARE西宮店としての初のインタビューになります。初回は、尼崎にある西正寺の僧侶中平了悟さんに活動されている内容や社会課題に対してどういったお考えをお持ちなのか等についてお話を聞いてきました。中平さんは西正寺でカレーを楽しみながら, 文化・異文化について触れる’カリー寺’やお寺という場に, 社会課題について学び、参加者同士が語り合う「テラからはじまるこれからのハナシ。」など様々な取り組みをされています。

西正寺にて中平さん近影

-テラからはじまるこれからのハナシ。

様々なイベントをされていますが、お寺でこういうことをされるのはすごく珍しいと思います。どのような経緯でされるようになったのでしょうか?

中平:お寺でイベントが行われるということは、それほどおかしなことではないと思っています。ただ、西正寺で開催されている特徴的なイベントには、それぞれの縁や起こったきっかけ、想いがあって立ちあがってきたことを大事にしています。中でも「テラからはじまるこれからのハナシ。」には思い入れがあります。2016年にお寺で社会課題を考えようという枠組みで立ち上げました。略して「テラハ。」と呼んでいます。

大学に勤めていた時に「性同一性障害」の治療のために講義を休むという欠席届をもってきた学生と出会いがありました。それをきっかけに、本を読んだり、人の話を聞いたり、関心を向けて知り、学ぶなかで、「性の多様性」について宗教者として関われること、できることがあるのではないかとおもいました。すぐに何かできたわけではないのですが、いろいろな縁が重なって、お寺でLGBT、セクシュアリティをテーマにした講演会を開催できることになりました。でも、お寺で急にLGBTについての講演会しますと言ってもなかなか理解されないのではないか。どうやったら関心を持ってもらえるかなと、考えていきついた枠組みが「テラハ。」でした。

そもそも私の前職、以前に勤めていた研究所(浄土真宗本願寺派総合研究所:http://j-soken.jp/ )が仏教思想に基づいて、教団の立場から、浄土真宗として社会課題に対する考え方を答えていくシンクタンク的な場所でした。そのため、自分自身では必ずしも関心があったとはいえない、様々な課題や問題に対して触れ、考え、つながりをもち、自分なりに理解を深める機会をもらったように思っていました。
自分のいるお寺、地域にそれを還元したい、特定の問題ではなく、広く社会課題一般について参加者と一緒に考えていけるような場を持つことができるのではないかと思いました。また、そうすることで「セクシュアリティ」といったテーマに触れやすいながらも、しっかり考える形をつくれるのではないかと思いました。それが「テラハ。」です。
するからには継続的にと思って、毎年1回は実施しています。

インタビュー風景

-様々なテーマを扱う「テラハ」と「ひとまちてらこや」

今までどのようなテーマを取り扱ってきたのでしょう?

中平:テラハでは地域コミュニティ、LGBTと性の多様性、JRの脱線事故、貧困とセーフティーネット、SDGsなどを扱いました。それぞれのテーマでメディアに出てもおかしくないような専門家や研究者の人に来てもらっています。専門家の話を聞き、学ぶということをしながら、もう一方で色んな人とつながっていく中で、それぞれ知りたいこと、共有したいこともあるのではないかと思いました。そこで、専門家ではなく、地域の人、身近な人たちに、それぞれの経験やもっているものを話してもらう機会を考えました。「テラハ。」のライト版みたいな想いではじめたのが「ひとまちてらこや」です。

1回目は、地域の行事で知り合った作業療法士の方にお話をお願いしていました。相談をするなかで、聞いて欲しい話があるということになり、その方が担当している脳梗塞の利用者さんと、介護している奥さん、担当のケアマネージャーさんの3人で、その方の介護の話をしていただくことになりました。
 非常に特徴的な介護のケースということだったのですが、自宅介護に至るまでの出来事や、病院とのすれ違い、受け入れや介護生活が地域の方の協力や支え合いのなかで行われていることを話していただきました。

脳梗塞の旦那さんは痰を取ったりするのに24時間みておかないといけないけど、近所の人も手伝ってくれて、奥さんが習い事に行ったりしている間は地域の人が旦那さんをみてくれているという、地域であたたかな、力強い実践が出来ているという話でした。

その回は特に、医療関係者の方も何人か来て下さっていて、病院では知りえない患者さんの実情だったと大きな刺激を受けられていたのも印象的でした。他にもパキスタン人と結婚したことでイスラム教に改宗した日本人女性や、60回も婚活経験のある方のお話などジャンルは様々です。「ひとまちてらこや」と「テラからはじまるこれからのハナシ」はぼく自身が枠組みを作って色んな人と関わりたいなと思ってやってきました。

そういった機会に、どのように仏教を伝えたり、語られたりしているのでしょうか?

中平:「ひとまちてらこや」や「テラからはじまるこれからのハナシ。」、それから地域・一般を対象にするような他のイベントでも、特にことわりのない限り仏教の話はあまりしませんね。それはもっと先にあることではないかとも思っています。
テラハに来たら仏教を「教えられる」ってなったら嫌になっちゃって人は集まらないと思うんですよね。お坊さんって「伝えたい根性」があって、伝えるということをセットにしないといけないという固定観念があります。そこから荷をおろして関わりしろを作っていくことがすごく大事だと思うんですよ。

むしろ、お坊さんとして場を作ることで自分自身に問うているような思いでいます。ぼく自身答えを持っているわけではなくて。
仏教者である、僧侶である私が、お坊さんとして何かできることがあるだろうかと考えている。もしかすると、場を開くことで何かを一緒に考えていくことができるのかもしれないとおもっています。ある意味それがひとつの答えかもしれません。

インタビュー風景2

-ただ将棋が指したかったんですよ

私達は障害のある方の就労や生活を整えていくことを日々サポートさせてもらっているのですが、福祉や障害について中平さんとしての考えはありますか?

中平:今まで様々な社会課題に触れては来ましたが、私自身は「専門家」ではありません。「専門家ではない」ということをある意味意識して動いています。福祉に関しても専門じゃないので簡単なことは言えないと思っています。
ただ、「ミーツ・ザ・福祉」(http://meetsthefukushi.strikingly.com/ )っていう地域の福祉イベントに関わらせてもらったり、「テラハ。」等で積極的に関わりをもたせていただいたことで、「ダイバーシティ」「多様性」ということに意識を、少しずつ向けられるようになってきたように思います。それで気づいたのが、「会う」っていうことですよね。「会う」というところに、根本になるような大事な何かがあるのではないかと思います。

知らなかったバックグラウンドを抱えている人に会うことで気づくことが多いし、友人になると、友人のために何ができるんだろうみたいなことを考えるようになって、そういう会うっていう経験が私にとっては「福祉」ということを考える上で大きなものになっていたのではないかと思います。

例えば、「車椅子の人」じゃなくて、「車椅子の○○さん」みたいになって初めて、その人がお寺まで来てもらうために何ができるんだろうみたいに考えるようになるのではないかと。その人が車椅子に乗っているのか、電動車椅子に乗っているのかでまた違うわけじゃないですか?電動車椅子重すぎて持ち上げられへんみたいな。ぼくの中では○○さんっていう人に出会って、そこで気づいてることとか、その出会いで広がっていく世界って大きいなって思うんですよ。
その「ミーツ・ザ・福祉」で知り合った脳性マヒの当事者であるMさんが「お寺で将棋したい」って話になったんですよ。

予定を合わせて、その日に準備をし始めたら、こだわり始めちゃいました。重い机もどかして畳だけの和室に将棋盤とお茶だけ置いて「対局室」にしつらえました。Mさんと、付き添いの人が来たら、「すごい!」って大喜びしてくれて、2時間将棋をやり続けましたよ。ぼくが勝ちましたけどね(笑)
そういう関係性を彼ともてたのが嬉しいし、それによってお寺に足を運んでもらって雰囲気を感じてもらえた、将棋を指せたのも嬉しい。
そこでは、「車椅子の人とか電動車椅子の人に来てもらいたい」とは思ってないんですよ。「Mさんに来てほしい」って思ってたんですよね。そのために何ができるか、どうしたら楽しんでもらえるか、一緒に楽しめるかって考えて。

だからもし「お寺に来たい」って言ってくださる人がいて、そこにハードルがあるなら、そのために何ができるんやろって考えるんですよね。
もちろん、本当はそんなものがなくて誰でも来れる場所だったらいいんですけど、現実的には見えないバリアとかハードルがあって、会うことによって一つずつ対応していくことができるっていうのが、自分が福祉というフィールドに関わって得られた気づきとして大きかったんですよ。実際に、そもそもお寺ってバリアしかないですからね(笑)心理的なハードルとか、段差もぼこぼこありますし、トイレも男女共同ですし・・・来にくいっていうことこの上ないですよ(笑)

ミーツ・ザ・福祉で盛り上がっている様子

-共感の上に人との「関わりしろ」は生まれる

お寺を運営していくうえで大切にしていることはありますか?

中平:「関わりしろ」を作っていくことをお寺を運営していく上で大切にしていて、ある檀家さんの家にお参りに行った時に、「お寺で修繕等があったら寄付をするから」というようなことを進んで言われたことがありました。何か困ったことがあったら言ってねって

その方は、代々地域に住んでいらっしゃる方なんですが、お寺にお参りに来られたことはあまりないし、積極的にお寺に関わってくださっているという方ではないんです。しかし、どうしてそういう風におっしゃってくださるのかを聞いたら、「自分らの世代は地域に育ててもらったから、この年になったらお寺のこと神社のこと地域のことに協力するのは当たり前だ」って答えられたんです。その方たちの世代(70~80代)では、地域やお寺・神社に対する意識はそうなんだろうと思うんです。その世代の地域への所属意識とか帰属意識ってそうなんですよ。しかし、ぼくらの世代(30代~40代)ってそうは思ってないでしょ?お寺としては、そういう意識を持っている方たちがたくさんいる時代はまだいいんですけど、将来的には、たぶん違ってくるんですよね。

例えば町内会とかにお金を払ってまで入ることのメリットって何なん?みたいな感じなんですよ。お寺が私たちになにをしてくれるの?とか、そういった疑問が投げ掛けられて、ちゃんと答えられていないと、「不要なもの」と認識されるのではないかと。意識が変わっていくっていうことを前提にして、お寺がなぜあるのか、お寺がどう関わっていくのかみたいなことを納得してもらったり、共感してもらった上じゃないと、「関わりしろ」っていうものが出て来ないんですよ。今まで所属していることが前提の上でできていた組織が、なぜ所属するのか?っていうもう一個前の段階から問いがおこってくる時代がくるかなって思っています。

それは地域もそうなんですよね。地域にいるからって何でやらなあかんの?っていうところを説明するところから始まって、それぞれが納得する関わり方とか「関わりしろ」とか説明があって初めて関係性ができるんですよね。

お寺も所属してるからお願いってことじゃなくて、なぜ所属してるのかなっていう意味の部分が問われてくるようになってるんです。

今組織のつくりかたも見直さないといけないとおもっています。所属が前提ではなく、入りたい人は入ってくるけど、出たい人は出ていけるっていう。その中でなぜ自分がここにいるのかっていう意味の問い直しがずっと行われていく形じゃないと、あるいはそこに答えていかないと、地域も組織も存続が難しいのではと思います。尼崎の上坂部の西正寺っていうお寺にいる中平っていうところは足場として一番大きいので、今お寺がここにあって何ができるかっていうところから、同心円状に広がっていくことはあっても、抽象的なお寺とかお坊さんじゃないことはすごく意味があるところだと思っています。

「カリー寺」みたいな行事を別のお寺でやろうとしたところ、地域や檀家さんからはちょっとした反対があったっていう話も聞きます。また、他所にいって「カリー寺」について紹介したりすると、「カリー寺を実施して、檀家さんや住職の反応はどうだったんですか?」という質問が頻繁に聞かれることも、そういう意識を反映しているんだろうと思います。
どうしてこの地域で、こういったことができるのか、「テラハ。」や「カリー寺」がなぜ西正寺で行われているのか、できているのかというと、このお寺の規模感や、境内といったインフラ的な部分だけではなくて、このお寺で積み上げられて来た歴史や物語とも無関係じゃないんですよ。

カリー寺の様子

中平:うちの祖父が住職だったときもまったく権威的ではなくって、「あんたのとこのおじいさんは酒屋の2階で酒飲みながら麻雀してた」って言われるような住職だったんですよ。

それはふざけていたわけじゃなくて、親しく酒飲みながら教えてくれるようなお坊さんだったから、地域の人たちがみんな「お世話をしてもらっていた」みたいに言って下さっていて、死後40年たっても、思い出話がされるような記憶として残っている。だからこそ、今、こういったことができているということがあるのだと思います。

逆に言うとタイムリミットもあるとおもっています。祖父は40年前に亡くなっているんですけど、地域に祖父の記憶がなくなったとき、つまり祖父のことを覚えている人が居なくなったとき、少なくなってしまったら、できなくなることってすごく増えてくると思うんですよね。だから地域に祖父の記憶があるうちに、こういう地域に開いたお寺のあり方とか、人との関わり方っていうのは、「あ、じいさんの時もそうやったね」っていう振り返りがくるうちに、やっておくべきかなと思っています。

<編集後記>

今回中平さんのお話を聞かせて頂いて、人は人と関わっていくことでしか本当の意味で問題意識を持つことは難しいのではないかということを感じました。遠いどこかの誰かが困っていたとしても他人事で、自分には影響がなくて自分事として考えられない。だからこそ様々なバックグラウンドを持つ人々と出会う、話をする場を開く。

今までは地域に対しての帰属意識のある人たちが多く、お世話になっているから自分も地域に貢献しないとという意識がありましたが、私も含め若い世代の人たちは損得勘定で考えてしまうようなところがあるような気がします。
お金を払ってまでその組織・コミュニティに所属する意味はあるのか?今は無料で自分の好きな趣味などに関するコミュニティにSNSなどを介して所属することは容易で、そこに意味を見いだせない。そんな時代では地域で本当に困っている人たちは埋もれてしまう。

だからこそ中平さんは、場を開いて活動に共感してもらって様々なバックグラウンドを持つ人々と出会い、日々「関わりしろ」を作っていっている。
今回記事中では紹介しきれないほど多岐にわたる活動をされています。
興味のある方は一度アクセスしてみてください。

西正寺:https://www.facebook.com/seikouzan/
テラハ:https://www.facebook.com/terakarahajimaru/
カリー寺:https://www.facebook.com/currytemple/

中平 了悟(なかひら・りょうご)

兵庫県尼崎市にある浄土真宗の寺院「西正寺」の副住職。宗教の枠組みにとらわれない様々な活動を通して、お寺と地域の関係性のあり方を探っている。

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全国各地にライターやプロボノを抱える編集社。タブロイド紙|GOCHAMAZE timesの季刊発行、および、地域の方々と共創するごちゃまぜイベントの定期開催により、地域社会の障害への理解・啓発|年齢・性別・国籍・障害有無に限らず多様な”ごちゃまぜの世界観”をデザインし続けている。

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