震災後、いわき市小名浜を拠点に立ち上げられた地域活性プロジェクト「MUSUBU」。アートプロジェクトやライブイベントなどを主催するなど、多岐にわたる活動で知られています。今回お話を伺ったのは、その MUSUBUの代表である宮本英実さん。現在はニューヨークに活動の場を広げる宮本さんに、活動について、そして今後の夢についてお話を伺いました。
地域活性プロジェクト「MUSUBU」は、いわき市小名浜出身の宮本英実さん、末永早夏さんたちによって立ち上げられたプロジェクト。震災後のいわきを活気づけようと、ロックバンドの「くるり」をゲストに招いたライブイベントや、書道家Maaya Wakasugiさんを招いたワークショップ、当時ロンドン在住だったファッションデザイナーのRYOHEI KAWANISHIらとのコラボファッションショーなど、持ち前のクリエイティビティを発揮したイベントを数多く開催してきました。
震災から5年が経過。MUSUBUにも、これから地域を背負って立つチームとして大きな期待が寄せられていました。ところが、中心人物だった宮本さんが、かねてからの夢だったニューヨーク移住を果たすなど、MUSUBUには大きな変化が生まれています。なぜ宮本さんはニューヨークへと向かったのか。まずはそこからお話を伺いました。
海外にはずっと前から住んでみたいと思っていました。旅行ではなく、暮らしてみたいなと。ニューヨークを選んだ理由は、小さい頃からアメリカのショーやテレビ番組が好きで、エンタテインメントの本場はアメリカだ!という漠然としたイメージを持っていたことと(笑)、ニューヨークを訪れた際に、この土地が持つ圧倒的なエネルギーに魅了されたのと、今までどの土地でも感じたことのなかった生き心地の良さを感じたからです。しかも、私の大好きなエンタテインメントも溢れている。ここだな、と。
ニューヨークを初めて訪れたのは、29歳の時でした。いつか行きたいと思い続けていたものの、長期休暇がとれないなど何か理由をつけて行くことをしないでいたら、26歳の時に震災が起きました。あっという間に時が流れて29歳。少しでもこの街で暮らすことを感じてみたかったので、1ヶ月滞在しました。住む場所も友人に紹介してもらい、アメリカ人の方のお家をシェアさせてもらって。
そこからまた人の輪が広がったり、ニューヨーク福島県人会の皆さんとイベントを開催することになり、ニューヨークなのに福島つながりが増えたり。居心地は良くなるばかり、何もかも新鮮に見えて、街の楽しさに胸躍る毎日。いつの間にか「これなら移住しても大丈夫だ」と思える環境になっていました。ニューヨークが、憧れの場所から、暮らしたい場所にこの時変わりました。思い切ってアメリカへ!というような大げさな感じでもなく、なるべくして今に至ったように思います。
今は、とにかくここにあるものすべてを吸収しようと、音楽、ファッション、アートなどはもちろん、あらゆる分野の催しや場所に足を運んでエンタメの最先端を肌で感じることを大事にしています。人種も国籍も文化もとにかく多様なニューヨークは、街を歩くだけでも、感じることが山ほどあります。この街自体が学びの場そのものですね。
また、震災以降、いわきで活動する中で教育に興味を持ち始めたことをきっかけに、Good Try Japanという団体が主催している中高生向けのキャリア教育プログラムのお手伝いもさせてもらっています。学生たちと共にITの最先端と呼ばれるアメリカのシリコンバレーを訪れ、企業や領事館を訪問して日本人スタッフや経営者に話を聞き、海外で暮らす日本人の多様な生き方に触れたり、現地の学生とワークショップに取り組んだり。失敗することが最大の挑戦と評価されるシリコンバレーで、短い滞在でもどんどん吸収して目の色が変わっていく子供たちと過ごす時間は、私にとっても貴重な体験になっています。
—すべてが1つのライブから始まった
エンタテイメントを生業にしてきた宮本さん。世界のショービズの最先端を行くニューヨークを目指すのは、なかば当然のことだったのかもしれません。それにしても、何の縁もないニューヨークに「なんとなくそうなって」移住してしまうという、その行動力と決断力はものすごいものがあります。そのルーツは、どこにあったのでしょうか。
きっかけは、中学一年の時に安室奈美恵さんの東京ドーム公演を見に行ったことです。それが初めて見たライブだったんですが、とにかく圧倒されました。席は2階席の最後尾に近い席で、安室さん本人は豆粒ぐらいにしか見えなかったんですが、そこに集まる5万人の観客が熱狂する光景と、私の中のスーパースターが目の前で歌い踊りみんなを虜にしてく姿に、とにかく衝撃を受けました。すごい世界があることを知ってしまったなと。それを見ながら、私もこの世界を作りたいと、絶対に音楽の仕事をしたいと心に決めました。高校を卒業してすぐに上京して、音楽の専門学校に入りました。
学校には入ったものの、現場で学ぶのが一番早いと思っていたので、業界の方に出会うたびに「何かお手伝いできることはありませんか」と名刺を配って回りました。そうすると、おもしろがって話をくれる方がたくさんいました。ライブや音楽レーベルの仕事をお手伝いする中で声を掛けてくださる方がいて、学校を途中で辞めて、19歳の時に念願の音楽の仕事に就くことができました。それから転職し、その後ビクターというレコード会社で仕事をしていたのですが、CDを売るということより、アーティストその人を世の中に広める「マネジメント」のほうに興味が湧き、様々な角度から世の中にアプローチしているクリエイターさんの事務所に転職しました。それが2011年の2月でした。
ところが、転職直後の3月に震災が起きて。地元が大変なことになって仕事どころではないと思っていた矢先、その事務所が解散することになってしまって(笑) 予期せぬ空白の時間が出来て、ああこれは、何かやれということだなと勝手に思って。それからいわきに戻って、何か自分たちにもできることがあるはずだと、友人たちと「MUSUBU」というチームを結成して、自分たちにできる形で地域になにか活力が生まれるような企画をしたいと思って、これまで色々なことに取り組んできました。
家は東京に置いたままだったので、ベースの東京といわきを往復しながら、ここ5年ぐらい活動してきました。5年の間にどんどん状況も変わり、いわきの今を把握していくなかで、これから歩むであろう道も見えてきたとうか、手応えを感じることができるようになりました。活動をはじめたころは20代でしたが、気がついたら30代に突入していて。地元の状況が落ち着いてきたとして、さて自分の人生どうしようかなと。そうなったときにやっぱり海外に出て色々なことを学びたいなってことが思い浮かんで、その気持ちが私をニューヨークに向かわせることになったと思います。
—地域を育てるための、人づくり
震災直後から、いわきという「地域」と関わり続けてきた宮本さん。地域を俯瞰する視点はニューヨークでも健在のようです。「世界最大のエンタテイメントの街」としてのニューヨークではなく、ひとつの「地域」としてのニューヨーク。宮本さんには、どのように映っているのでしょうか。
ニューヨークはとにかく街の変化のスピードが速い場所です。例えば、家賃の安い地区には、移民やアーティストなどマイノリティとされる人たちが集まってきます。そこに面白い場所などができると、今度はそこに商店などができて活気が出てくる。すると、不動産価値が生まれ、住宅も整備され地価が上がってくる。すると最終的には、もともといた人が、また新しい土地に向かっていく。そんな風に町が代謝していくんですよ。
私はブルックリンという場所に住んでいるのですが、家の周りにはとりわけ大きな観光地はないんですが、クラフトマンシップを大事にしている小さなカフェやお店がたくさんあり、コーヒー片手にのんびりできる公園もたくさんあって。散歩しながら街の中に回遊が生まれる感じがとても好きで、この場所を選びました。
この感覚は、いわきにいた時と似ています。例えば、大きなショッピンモールってそのなかですべての用事が済む便利さはあるけれど、私はそこにあまり興味が湧かなくて。1カ所だけに人が集まるというのではなく、地域全体で連携して、魅力ある場所を回遊させていくような見せかたはいわきでも出来るし、私はそういう遊びかたが好きで。誰かがいわきを訪れる度に、北から南、海も山も食も、いわきをいいとこどりして案内していました。
そのためにも、まずはそれぞれの個を知るということが大事だと思います。そのあとに連携がある。日本だと連携って「平均化される」傾向があると思うんですけど、違いが明確に分かってないと連携なんてできないのではと。だから、そういう連携のできる思考回路を持つ人たちを、どれだけ地域の中に増やしていけるかが、地域を作るために必要なことだと思っています。
宮本さんが語るのは「地域を魅力的にしていくための人づくり」。これまでは、教育についてそれほど強い関心を持っていたわけではなかったそうですが、移住後に「Good Try Japan」のキャリアプログラムのお手伝いをするうちに、目を輝かせながら学び合う子どもたちを見て、教育の重要性について思いを新たにしているといいます。
プログラムの舞台は最先端のIT企業が多く集まるアメリカのシリコンバレーなんですが、シリコンバレーって、伝統的に失敗を良しとする場所なんですね。失敗しても「それはチャレンジの証だ、次また頑張ろう」と言ってくれる土壌がある。たくさんの企業を訪問し、起業家や海外で暮らす日本人の暮らしについて話を聞いたりするのですが、みんな同じことを言います。失敗を恐れるなと。誰かと同じことではなく自分の個性を尊重できる場所。そういう場所に身を置くという経験は、なかなか国内で積むことはできない気がします。
このプログラムでのもうひとつのポイントは、普段、学校の友だちには言えないような、こんなことをしてみたいとか、こんなことが自分の夢なんだとか、そういう話を共有しあえる仲間に出会える所な気がします。夢を語っても、「無理でしょ」とか、「そんなことよりいい大学に入るのが一番だよ」と、その人の中での当たり前の価値観の中で否定的な言葉で片づけられてしまう。でも、環境が変わると子供たちはどんどん変わっていって。最初は「やりたいことは何もない」と言っていた子供が「実はこれがしたかったんだ」って、心の本音の部分を語れるようになるんです。
日本では「同じであること」が当たり前とされていて、「違うことはダメ」みたいなところがありますよね。だからこそ育ってきた日本の良さもある多大にある反面、突出した才能もきれいに角が取れて形を整えられてしまう。だから、結局最後には「大人に対する教育」も必要になってくるはずです。今の子どもたちがそういう環境に慣れて大人になったときに、今よりもっとマイノリティが生きやすい多様性溢れる地域になってたらいいですね。
そういうことを地道に繰り返す中で、20年とか30年とか経ったときに、私たちには想像もできないような社会や地域ができあがっていくんだと思います。そのためにも、私もまずはニューヨークでもっと貪欲にいろんなことを学んで、それを持って帰ってきたいです。
profile 宮本 英実(みやもと・ひでみ)
福島県いわき市生まれ、東京経由、ブルックリン在住。フリーランスで広報・宣伝、人と人とをつなぐ仕事など。
東日本大震災以降、地元の仲間と地域活性化団体「MUSUBU」を設立、代表を務める。
“ワクワク”を生み出すことをモットーに、人・地域・音楽・芸術・情報などを結び、様々なプロジェクトを行う。
現在は福島県いわきとニューヨークを拠点に活動中。
“魚”を楽しみ味わいを尽くす魚女子部・副部長。サッカー好き。
地域活性プロジェクト「MUSUBU」 http://www.musubu.me/
GochamazeTimesCompany
全国各地にライターやプロボノを抱える編集社。タブロイド紙|GOCHAMAZE timesの季刊発行、および、地域の方々と共創するごちゃまぜイベントの定期開催により、地域社会の障害への理解・啓発|年齢・性別・国籍・障害有無に限らず多様な”ごちゃまぜの世界観”をデザインし続けている。
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