GOCHAMAZE timez(ごちゃまぜタイムズ)
いわきから「ごちゃまぜ」 あらゆる障害のない社会へ

幻聴妄想体験を、皆で楽しめる“かるた”に

新澤克憲さん

世田谷区にある精神障害をもつ方の就労継続支援B型事業所「ハーモニー」。取材で伺った際、利用者の方は自宅のリビングで過ごすかのように落ち着いて、好きなように過ごしていました。そんなハーモニーをつくった新澤さん。ハーモニーが作業をするだけの場所ではなく、「居場所」になるまでのお話を伺いました。

新澤:ハーモニーが始まった頃、区内には就労支援の得意な施設は既にあって、引きこもりの方、アルコールなどの依存症で苦労されている方、思春期の子どもたちなど、今までの作業所では対象になりにくかった人たちを受け入れていく施設が出来はじめた時期でした。
僕はその前は、公務員として重度心身障害の人たちのデイケアのスタッフをしていました。新設されるハーモニーに誘われた時、身体との重複障害なら、僕のノウハウが生かせるかもしれないと思ったのです。そんな訳で、ハーモニーは精神障害の人の通所施設なのですが、身体が不自由だったり、生活の上での困難を抱えた人たちのことを念頭において、車での送迎やアウトリーチなどもやっていく場所としてオープンしました。ばりばり頑張る型ではなく、皆で過ごすのんびり型の施設ですね。やっていることは他の作業所と同じような公園の掃除やリサイクルショップの運営もあるのですが、工賃を貰うことを目的に利用していない人もいます。ごはんを食べに、友達に会いに、生活の一部として顔を出す。そういう方たちが通える居場所がハーモニーです。

例えば、いくつも作業所に通ったけれど安住できるところを見つけられなかった人、どこにも行ったことがなくて自宅から出るのが大変だったり、図書館のロビーで1日過ごしていた方。年齢と共に身体にも合併症が現れて、精神科以外にいろいろと通院先が増えてしまった人、50歳を過ぎて単身での生活をノンビリと送りたい人など。そんな人たちがハーモニーには来ています。
そんな人たちの場ですから、ルールは「何々をしよう」ではなく、「何々をしなくていいよ」というものが多いです。特に大事にしているのは食事です。1年240日以上、お昼のご飯を厨房で作ります。「とりあえず、ご飯を食べに来てみたらどうでしょう」と言える場所でありたいと思っています。
車の教習所のように、必要なカリキュラムがあって、何かを身につけたら卒業して次に行く場所ならば「頑張ること」が沢山あってもいいのでしょうが、そうではない日常生活の拠り所のような所だとしたら、落ちつけて、仲間がいて、ちょっと楽しい方がいいんじゃないかと思っています。
それから仲間と専門職だけに囲まれて、ずっと過ごすのは不自然だと思うんです。それ以外の人たちと接点をもてて、楽しいことができるほうがいいような気がするのです。

編集部:ハーモニーの皆さんが作った「幻聴妄想かるた」が話題になっています。幻聴、妄想というとあまり人に話してはいいものではないというイメージが強いかもしれませんが、それをハーモニーではかるたにして、みんなで楽しむものに変えました。その「幻聴妄想かるた」はどのようなものでしょうか。

新澤:ハーモニーに来ているのは統合失調症を始めとする精神疾患で苦労している人たちです。ですから幻覚や妄想の話は普通に出てきます。彼らと接している中で荒唐無稽な話でも、その人の日々の生活や、心のあり方とリンクしている場合もあることに気がつきました。嫌なことがあれば被害的な妄想がでてきたり、自罰的な声が聞こえています。反対にストレスが少なかったり、楽しいことがあれば、幻聴も穏やかだったりしますね。なにより幻覚や妄想の話が、その人の一生懸命伝えたい大事なことであれば、無視をすることは関係性の中で難しいです。10年以上も顔を合わせていますから。誰かの幻覚や妄想を皆で心配したり、面白いねと話題にするのが、僕達の日常ではむしろ自然なことでした。
一方、法律ができたことでハーモニーは就労継続支援B型施設となり、工賃を稼がないといけなくなりました。もともとのんびりの場所ですから、稼ぐのは苦手です。そこで工賃を倍増しようと皆で考えた企画が、幻覚や妄想の体験を劇にして、興行して稼ぐというものでした。題して「幻聴妄想劇団」。公演先は老人ホームです。今思うと変な話ですよね。そもそも老人ホームの入居者の方が、幻聴や妄想の話を楽しんで聞いてくれるという発想自体、妄想的です(笑) それで劇の為にそれぞれの幻覚や妄想の体験を集めました。それを短冊状にして、沢山書きだしてセリフを作ったのですが、大事なことに気がつきました。「誰も劇のセリフを覚えられない」それから、僕らは極度の人見知りで「人に顔を見られて劇をするのは嫌だ」。そんな訳で、ハーモニーの存続を賭けた「幻聴妄想劇団」はあっという間に消滅しました。それでも諦めきれず、短冊状の紙を見ているうちに、誰かが「これ、かるたみたいだね」と言い始めたんです。
そこでみんなで絵を書き、かるたにし、解説本を付けました。それが2008年のメンバーたちが作った最初のかるたの原型になりました。後に2011年に医学書院から刊行されて、皆さんに知っていただけた訳です。商品としてヒットしたのは、どう考えてもビギナーズラックだと思っています。振り返って僕がよかったなと思っているのは、かるた作りの過程の中で、メンバーたちが病気の体験を含めて、自分のことを沢山話せたということです。今まで言えなかった幻聴妄想の話も、ハーモニーではある程度話しても大丈夫ということを一人ひとりが、体感していくことになりました。仮にかるたが売れなかったとしても、居場所を作っていくプロセスとして、これはかけがえのないものだったと思います。

かるたは今、第三弾まで出ています。一弾目は売れるために、人目につく物をという力みもあり、みんなの尖った妄想体験が多いです。2014年の第二弾は、最初のものには入れられなかった日々の生活のことが多くなっています。病気をもちながら生きていく大変さや日々のため息など、ひとりひとりのパーソナルな内容です。「誰かさんは洗濯しても服を片付けないから積み重なった服の上に住んでいる」とか、「死にたくなって失踪したけど、帰りのバスの時間が気になって帰って来ちゃった」とか。そして、齋藤陽道さんという写真家に参加していただき、沢山のポートレートを入れることができました。ちょっと前までは、人見知りで写真なんて想像できなかったのに(笑)
一弾、二弾を経て、取材されたり、見学者が増えたり、講演に呼ばれて話をするとか、かるたから派生した様々な出会いがあり、メンバーたちの人間関係も広がっていきました。そうすると第二弾以降入ってきたメンバーたちは自分のかるたがないと寂しい。自分のも入れてという声が出てきました。それで外部の編集も入って、デザインも細かく吟味し、コストも考えて作ったのが昨年の第三弾です。色が着いたのはちょっとした事件でした。

機会があれば、ハーモニーのメンバー以外の人にもかるたを描いてもらうワークショップをやっているのですが、これが興味深いのです。心の病とは縁のないような若い人たちの札には「目」が描かれていることも珍しくはありません。「他人からどう見られているか」ということに敏感な年代もあると言ってしまえば、それまでなのですが、実は他からの視線を気にしながら孤立している、そんな人たちが沢山いて、人との繋がりに迷っているのではないかと僕には感じられます。そんな彼らがハーモニーのメンバーの描くかるたを面白いと感じてくれたり、メンバーたちの話を聞いて、「気持ちが楽になった」「自分だけじゃないんだ」と話してくれるのを目の当たりにすると、当事者の語りが持つ力の可能性について、改めて考えさせられました。
そんなこともあり、第三弾の『超・幻聴妄想かるた』にはハーモニーのメンバー以外の体験を題材にした札も入っています。大学生が描いた札、複数の人たちの合作かるたなどがそれです。大きな言葉で話すと損なわれてしまうニュアンスがあるので、断言はしたくないのですが、「精神障害者/健常者」の境界線は、ハーモニーの僕達からみると実は曖昧で、時としてないように見えたり、揺れていたりするかもしれない。あるいは人はその境界を跨いだり、その間を行ったり来たりしているかもねということを感じてもらえるような札の構成にしたつもりです。

編集部:最近は「多様性」という言葉をよく耳にするようになりましたが、新澤さんは現場で多様性は実現されていると感じていますか。また新澤さんの考える多様性とはどのようなことでしょうか。

新澤:現在、日本の精神科病棟における患者さんの平均入院日数は170日で、未だに世界で群を抜いて多い日数です。また、すでに病気の症状が軽減した状態であるにも関わらず、社会に行き場所がないばかりに長期間、病棟にとどまっている人も相当な数いると言われています。社会の多くの人たちはそんなことは知らないでしょう。表向きは綺麗な世の中だけれど、排除されている人たちは見えない所にたくさんいると思います。多様な人たちが共存している世の中など、僕には遠い絵空事のように感じます。

僕達には不都合なもの、見たくないものを見ない、見ないだけでなく積極的に忘れてしまうという困った習性があると思いませんか。
例えば首都圏では、毎日、電車で人身事故がある。人身事故というけれど自殺です。心にトラブルを抱えたり、働きすぎや貧困に苦しんで、命を絶つ人が日常的に近くにいるにも関わらず、電車が遅延すると「ちっ、仕事に遅れる」と思ったり、「やるなら、よそでやってくれ」と呟いたり。どこかで問題を意識の外に追いやり、自分に関係ないとしてしまうところはないでしょうか。僕には支えがあれば町で暮らしていけるのに精神科病院に長期入院させられている人たちの存在を見ぬふりをすることと、人身事故で失われる命を瞬時に意識の外に追い出してしまうことが、どこか繋がっているようにも思えます。
「多様性」の時代なんてぶちあげても、都合のいい「多様性」しか見えていないのかもしれません。
精神障害の場合、人の「健康」と「迷惑」が天秤にかけられていると感じることがあります。例えば、夜中に起きて色々な思いがこみ上げてきて、怒鳴ってしまう人がアパートにいる。歩き回ってしまう人がいる。あるいは気力がわかず、ごみが捨てられず、異臭騒ぎになる。これらは近隣からすれば「迷惑」です。それが精神科の患者だと、「迷惑行為」があると、すぐに「入院させよう」という声が聞こえてきます。入院していなくなれば、平和になる。これってどこか変じゃないですか。入院は本来、医療的な必要があってするものです。迷惑をかけることは、病気ではないのに。社会から切り離すために入院が使われる。

ずっと支援をしている当事者の話です。長期入院の後、帰ってきた彼は、夜中に不安になると大声を出したり、幻聴が聞こえて辛いからと大音量で音楽を流してしまう。アパートの住人の中には元気でいいと言う人もいますが、さすがに隣室の方は、うるさいと壁ドンして「迷惑だぞ」とやるわけです。それでまた彼の不安が募り、大声を出し…という悪循環です。最後には僕や関係者が、彼に電話で諭したり、訪問して寝つくまで話し相手になったりしてトラブルにならないように懸命でした。それでも、隣室の方は耐えられず転居されてしまいました。
数ヶ月して隣の部屋にベトナムから来た人が入居したのです。ずいぶん良くなったとはいえ、相変わらず不調の時には、彼は大音量で音楽を流します。きっとトラブルになるぞ、と怖れつつ不動産屋さん経由で聞いてもらったら、お隣は「全然問題ない、そんな人いました?」との返事。夜行ってみたら、確かに音は出しているのに、隣室のベトナムの人は窓を開けて暮らしていました。どうやら文化的な側面もありそうです。「ベトナム 騒音」とググってみると、意外なことがわかりました。ネット上の情報を鵜呑みにするわけではないのですが、どうやら騒音に対する感じ方にもお国柄があるらしく、隣室の人にとってみれば、許容範囲だったようです。
それに隣人は彼の騒いでいる早朝の時間帯には、仕事で出かけていたのです。
何年にも渡っての隣人とのトラブルが、まるで嘘のようになくなり、彼の生活も穏やかなものに変わりました。
気が抜けちゃうような出来事だったのですが、そこに僕は期待をしています。文化、生活パターンの違い、多様なバックグラウンドを持つ人たちが隣り合うのならば、そういったものをうまく組み合わせることで迷惑さの加減が、少し大丈夫になる。なるかもしれない、ということです。
精神科医療は、今までは「迷惑をかける恐れ」で隔離をして、どちらかと言えば「できないこと」を減点法で評価して病棟に留まらせてきた。そうではなく、世の中に出て、人と人をどうマッチングしていくと大丈夫かを試してみる。より多くのトライアルと、現場の知恵が許される環境がほしいです。というか、作っていかなくてはと思います。

編集部:平成も終わり、令和の時代が始まりました。2020年には東京オリンピックもあります。平成の振り返り、そしてこれからの時代はどう変わっていくと感じていますか。

新澤:この10年で忘れられないのは、東日本大震災です。昨日まであった日常が、明日にはないかもしれないという感覚をはじめて感じた出来事でした。日々生きていく意識がすごく変わりました。
津久井やまゆり園の事件も大きかったです。メンバー達ともミーティングで話しました。その時、彼らが描いたかるた札に「やまゆり園 / 事件前に伝えたかった / 牧場に行って人間になってください」というのがあるのですが、これは獣医を志していた一人のメンバーの言葉で、北海道の牧場での実習体験が元になっています。人の命を軽視する犯人に向かって、命の大事さについて、生き物の「生老病死」を体験でできる牧場で働いて知ってほしかったという内容です。また「自分たちが加害者になると思われている」という想いの強い人は、悩んだり不安を感じたようです。スタッフの自分にとっては、自分の中にも犯人と同じような命の価値を独善的に価値づけるような発想はないのか、あるいは同僚の中に犯人のような考えを持つ者がいたらどうするのかという問いをその後も持ちつづけています。

時代全体を見通すと、障害とそうでないものを分けたとて、それは一時的な線引きでしかなく、「障害者」と括られた以外の人たちも生きていくことが大変になっているとも感じます。それは、ハーモニーにやってくるボランティアや非常勤、ヘルパーの生活を見ていても感じるところですし、ハーモニーの活動に関心をもって集まってくる人たちにも言えることです。
線引きの外側にいる人たちもこちら側に入れて、結果として線引きが揺らいでいくような活動を当たり前にやっていかないと、障害福祉の現場は陳腐なものになってしまうと思っています。
障害があるからと集められ、障害のある人とだけ付き合い、一生を終える、それは障害当事者が望んだことかといえば、絶対そうではないはずです。線引きを超えて、外で当たり前に友達ができる。そんな動きをハーモニーのメンバーも始めているので、僕も彼らに遅れをとらないようにと思っているところです。

新澤克憲(しんざわ・かつのり)
1960年広島市生まれ。精神保健福祉士、介護福祉士。東京学芸大学教育学部卒後、デイケアの職員や塾講師、職業能力開発センターでの木工修行を経て1995年共同作業所ハーモニー(現在は就労継続支援B型事業所)開設と同時に施設長。
だれのこころにもある差別を歌うパンクロックバンド「ラブ・エロ・ピース」のギタリストとしても活動中。
ハーモニー公認ブログ:https://harmony.exblog.jp/
超・幻聴妄想かるた特設ページ:https://harmony.exblog.jp/238582094/

GochamazeTimesCompany

全国各地にライターやプロボノを抱える編集社。タブロイド紙|GOCHAMAZE timesの季刊発行、および、地域の方々と共創するごちゃまぜイベントの定期開催により、地域社会の障害への理解・啓発|年齢・性別・国籍・障害有無に限らず多様な”ごちゃまぜの世界観”をデザインし続けている。

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