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いわきから「ごちゃまぜ」 あらゆる障害のない社会へ

可能性の源泉、それが銭湯

稲 里美さん

兵庫県尼崎市。工場や競艇場などが立ち並び、労働者のまちとしての面影を見せる地域に、地元住民から愛され続ける銭湯があります。子どもから高齢者まで、小さな銭湯にさまざまな人が集い・賑わうその理由とは…。

「一家に一据え」お風呂が設置されていることが当たり前の現代。温泉や銭湯は、私たちにとって非日常の存在になりつつあります。そんな中でも未だに市内30箇所で温泉や銭湯が営業を続ける兵庫県尼崎市。温泉や銭湯が身近な存在としてあり続けるには何が必要なのか。一風変わった取り組みで注目を集める銭湯「蓬莱湯」の2代目女将、稲里美さんにお話を伺いました。

「お茶漬け」みたいにアットホームな銭湯

:蓬莱湯が誕生したのは昭和6年、今年で米寿を迎えるのですが、創業当初はごく一般的な銭湯と同じような番台形式でした。元々は地域で暮らす方たちに向けてつくられた銭湯なので、ざわざわとした落ち着きのない雰囲気がありましたが、平成21年に大きな休憩スペースを備えたフロント形式に改修し、現在のようなアットホームな銭湯になりました。蓬莱湯のお湯は天然温泉なのですが、「単純泉」と言ってさっぱりとした特徴のあるお湯で、例えるならお茶漬けみたいに体に優しいんです。濃度の濃い温泉は、疲れているときであればとても効き目があるのですが、体調が良い時では湯あたりをしてしまいます。反対に、お茶漬けのように濃度の薄い温泉であれば毎日入り続けても問題はないので、それであれば内装も家みたいに落ち着いた、飽きのこない雰囲気にしようということで、住宅専門の建築士の方に設計をお願いしました。

改修前はとても広かった入り口も、玄関ほどの狭さにすることで家に帰ってくるような印象を持たせたり、他にも番台前には休憩所となるリビングを模したスペースを設けることや、電飾をリラックス効果のあるオレンジ色に変更するといった工夫を凝らしました。同時期に蓬莱湯は全面的に禁煙としたのですが、今でこそ当たり前になったものの、銭湯として禁煙化したのは全国で蓬莱湯が初めてでした。

休憩所には小さい子が遊べるよう、おもちゃが置かれたりしている

番台前のリビングのような休憩所で取材をしていると、お風呂からあがったばかりの男性が会話に加わってきました。蓬莱湯で開催されたイベントに参加したことがきっかけで、今では常連となっているようです。

:イベントが行われるようになったのは平成22年ごろ、蓬莱湯のホームページで貸切銭湯の募集をかけたことがきっかけでした。たまたま募集を見た落語家の方から、銭湯で落語会を開催したいという連絡があったんです。当初はお風呂に入るために貸切にすることを想定していましたし、落語会と銭湯の結びつきもイメージできませんでしたが、とりあえず開催してみようという考えに至りました。実際にイベントを行なってみると、参加者には落語とお風呂をセットで楽しんでいただけることが分かりましたし、そこから蓬莱湯の常連さんにもなる方もいました。

今では落語会以外にも、寝たきりの人でもできる体操を行うイベントやお酒を飲むイベントなど、月に1〜2回は何らかのイベントが開催されています。参加者には必ずしもお風呂に入ってもらわなくてもよくて、もちろんイベントをきっかけに常連さんになってもらえたら嬉しいですが、イベントのためだけに来るという方であっても大事なお客様だと考えています。月に1回でも年に1回でも、ライフスタイルの一部に蓬莱湯を組み込んでもらえれば、どんなかたちであっても受け入れていきたいと思っています。そういったお客様の多様性を見つけることが、私の女将としての仕事と言えるかもしれません。

イベントが行われる様子

:お風呂ってそれ自体で完結しているんです。湯船に浸かってしまえば目的は達成しますが、そこにイベントが組み合わさることで、お風呂だけの時よりも濃密な時間を過ごしてもらえる気がしています。自己紹介を通して参加者のバックグラウンドを知ることから始まり、何度かイベントで出会う中で気の許せる関係性になったり、仕事や人生のパートナーに発展する可能性もありますよね。そういった化学変化が蓬莱湯という場所で起きることが嬉しいですし、イベントを開催する前と比べ、私も相談できる相手が増えたように思います。

商売は牛のよだれのように

斬新な取り組みで、ファンを獲得する蓬莱湯。女将の稲さんからは予想外のことでも楽しもうとするゆとりを感じますが、きっと誰もが同じようにできることではありません。既存の銭湯にとらわれない自由なチャレンジ精神は、どのように育まれたのでしょうか。

:ひとり娘だったので、銭湯を継ぐことに違和感はありませんでした。これまでホテルやテレビ局に関わる仕事も経験してきましたが、「窯の下の灰まであんたのもんや」と言われて育ったので、いずれは自分が銭湯を引き継ぐ覚悟ができていたんだと思います。

後継は親の代で築いたものをそのまま譲り受けるので、周囲の厳しい目にさらされます。先代のやり方を見てきたお客様に認めてもらうためには、これまでの3倍汗水を流すか、3倍知恵をはたらかせることで、受け継いだものを守りつつ攻めなければならないんですよ。私は体力に自信がなかったので、いろんなアイデアを出すことで仕事を発展させようと考えていて、それが今のイベントを行うスタイルの蓬莱湯に繋がっていると思います。

自身の哲学を語る稲さんの目には真剣な眼差しが

だからといって次の代にも同じことを期待しているわけではなくて、3代目には「3代目らしさ」を発揮してもらえればいいと思っています。仮に銭湯の売り上げが落ちたのであればお客様のニーズがなくなったということなので、最終的に店仕舞いという判断になっても構いません。商売なんて諸行無常の世界なので、バトンを渡すまでは必死に頑張るけれど、そのあとのことは次の世代が自由に考えていくというのが私の理想です。

こうした考えを抱くようになったのは、家族の介護がきっかけでした。銭湯を経営しながら介護を同時並行するのはやっぱり大変で、子どもたちには私と同じ苦労をかけたくないなと思ったんです。「やらなければならない」「こうしなければならない」といったルールを設けてしまえば、変に体に力が入ってポキっと折れてしまいます。平成に生まれ育った世代は良い意味で自由気ままなので、「どっちでもいいかな」というたおやかな精神を持つことで、逆に長続きすると思います。壊れるものは壊れると私自身が考えられるようになってからは、だいぶ気が楽になりました。

介護をきっかけに柔軟な視点を手に入れた稲さん。「仕事は生涯現役」と語るように、その意欲は尽きないようです。

:これまでは家族のために商売を続けてきたのですが、残りの人生は誰かの役に立つことをしていこうと思っています。具体的には銭湯の2階を民泊施設にしたり、隣接しているコインランドリーを綺麗にして、小さなコミュニティスペースをつくる構想をしていますが、次世代の人に喜んでもらえたり、定年後でも長く働けるような場所づくりができるのが理想です。やっぱり等身大ということは意識したくて、仮に儲からない取り組みであっても、無理せず長くやり続けることが大事。牛のよだれみたいにだらだらと、飽きないで商いを続けていけば、いずれはファンがつきますし、蓬莱湯は「常に何か新しいことをしている銭湯」というイメージを持ってもらえると思います。

番台には稲さんが厳選するさまざまな商品が取り揃えられている

銭湯や温泉の可能性って無限大ですよ。半永久的にお湯は湧き上がるので、まるで地球からの贈り物のように感じています。私は限定的な考え方しかできていませんが、例えば温泉を発電や養殖に使えるように、もっといろんな活かし方を3代目や4代目には探求していってほしいです。今や銭湯は絶滅危惧種のように考えられていますが、だからこそその価値を再発見していくことができると思っています。様々な可能性を秘めた銭湯や温泉に対して、これからも敬意を払い続けていきたいです。

 

稲 里美(いな・さとみ)

昭和34年生まれ。武庫川女子大卒。卒業後神戸ポートピアホテルに勤める。その後家業を手伝いつつテレビ番組構成のアルバイトや宅建主任者の資格を取り不動産会社にも勤める。結婚後、家族とともに家業を引き継ぎ平成24年代表となる。
 

GochamazeTimesCompany

全国各地にライターやプロボノを抱える編集社。タブロイド紙|GOCHAMAZE timesの季刊発行、および、地域の方々と共創するごちゃまぜイベントの定期開催により、地域社会の障害への理解・啓発|年齢・性別・国籍・障害有無に限らず多様な”ごちゃまぜの世界観”をデザインし続けている。

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