GOCHAMAZE timez(ごちゃまぜタイムズ)
いわきから「ごちゃまぜ」 あらゆる障害のない社会へ

湯本をもっと「ごちゃまぜ」に

嶌佳之さん・嶌千明さん

いわき市常磐湯本町。金比羅様にほど近い「酒屋さん」が、月に1度、謎のグルーヴに包まれています。お酒や音楽をまったりと楽しもうと毎月開かれている「YUMOTO NIGHT」というイベント。企画するのは、橋本酒店の若旦那と若女将。なぜ酒屋で音楽イベント? オーガナイザーの嶌佳之さんと嶌千明さんのお二人にお話を伺って来ました。

福島の地酒などを多数揃える湯本の「橋本酒店」。一昨年、その店内にタイ料理を楽しめるコミュニティカフェ「橋本酒店 COMMUNITY CAFÉ&BAR」がオープンしました。店に入ると、正面はザ・酒屋。でもその右側には不思議なタイ空間が広がっていて、まさに「ごちゃまぜ」な店になっています。そのごちゃまぜ具合が不思議と居心地良く、しかも酒の品揃えもいいので、なんだか思わず長居してしまう、そんな空間です。

この「橋本酒店 COMMUNITY CAFÉ&BAR」を運営しているのが、嶌佳之さんと千明さんのご夫婦。もともとこの橋本酒店は、千明さんのご実家。千明さんがいわきに戻って来たタイミングで店の一角を使って開店しました。「YUMOTO NIGHT」は、そのカフェを会場に毎月開かれている音楽イベント。DJがかける音楽、食事やお酒、南国タイらしい自然体のユルさに魅了される人たちが今、急増しているイベントです。

千明:何年か前から「酒屋を継いでくれないか」っていう話があって、どうしようかな、とは思ってたんです。それでいわきに戻って来て、さあお店をやろうってなったときに、両親も元気で普通に働いてるし、酒屋に4人いてもやることがないじゃないですか。そうしたら「スペースが開いてるからなにかに使ったら?」って両親に言われて。それで、何できるかなって考えたすえに始めたのがタイ料理だったんです。

佳之:もともと、二人とも日本語教師としてタイで2年間働いていました。そのあと、彼女は日本で日本語教師を続けてたんですが、ぼくはタイ食材を輸入する会社に勤めていて、食材の営業もしていたので、実際に料理を作ったりもしてたんです。タイ人のスタッフもいたので、食材や調味料の使い方もある程度わかっていました。タイ料理をやろうというのは自然な流れだったのかもしれませんね。

タイの雑貨が置かれた店内。不思議なごちゃまぜ感

千明:カフェが始まったのが2017年の9月くらい。カフェだけじゃなくて、もっと面白いイベントがあってもいいねって、お店のオープンの3ヶ月後くらいからイベントがスタートしました。

佳之:「YUMOTO NIGHT」なんて名前をつけたので、湯本でデカいフェスがあるんじゃないかって言われたりしましたね(笑)。全然そんなつもりはなくて、実際にはこのお店の中のイベントですし、もともと2人とも音楽を聞くのは好きだったので、ゆるい感じで、1ヶ月に1回くらいで続けてみようという感じで。音楽もノージャンル。みんな好き勝手に好きな音楽を持ち寄って、過ごし方も自由です。

取材中、おふたりがとてもにこやかに応じてくれることが印象的でした。しかし、その笑顔は、取材を受けているから、というわけではなく、いつもこうなんだろうなあ、という感じ。とても自然体なんです。カフェやイベントの運営も、ちょうどよく力が抜けていて、大きな目的意識や課題意識があるわけではない。それがまたこの空間の居心地の良さを作っているのかもしれません。

佳之:カフェをやっていることも、イベントを主催しているとこも、特別なことしているっていう感覚はまったくなくて。今思い返すと、タイに日本語教えに行くって27歳の時に決めたのもそうでしたね。友達には「お前そんな歳でどうすんだ」って結構言われたんですけど。あの時はすごい若かったなと感じますが、全然間違っていないし、後悔もしていないですね。

千明:これ、面白そうだし、やってみるかぁ、みたいな感じでみんなやっちゃう(笑)。

にこやかに取材に応じてくださった千明さん

佳之:イベントもそうで、ほんとフリースタイルで、なんでもあり。今までも、音楽イベントのほかに、料理教室、トークショー、裁縫教室とかもやりましたね。いわきって、意外と手に職を持っている人がいるじゃないですか。そういう人が活躍する場がないのか、うちが使いやすいのか分からないですけど、企画を持ち込んでくれる人も多くて。この前はヨガをやってる方から「ヨガとロックを合わせたらどうか」ってアイデアが持ち込まれたこともありました(笑)。

千明:持ち込みの企画は、ほんと「自由に使ってください」って感じにしていて、場所代も取っていません。イベントやってるときも、そんなに深く考えてやってるわけではなくて、こうやったら楽しいかなって、そういう感じで動いてます。

−タイでの教師生活と、ごちゃまぜの原点

と、ふたりはいつもこの調子で、周囲から見ると「ものすごく大変だったのでは?」と勘ぐってしまうようなことも、ひょうひょうと受け入れて楽しんでしまっているように見えます。いい感じのゆるさ、そしてそのゆるさが生み出す「ごちゃまぜ」のルーツを探るべく、タイでの暮らしについてお話を聞きました。

千明:日本語を教えていた町は、バンコクの中心部からは離れていて、目にする日本人は私たち日本語教師2人だけ。シャワーから出てくるのは水だし、エアコンは効かないし、建物は古くて。それでも居心地は悪くなかったです。日本語を教えていた生徒は日系企業の工場とかに勤めていて、わりと上の地位についている人でした。大学を卒業して英語もできて、日本語も上手でしたね。NEC、キヤノン、パナソニック、そういう大きな企業の現地法人に勤めている人たちでした。

佳之:生活スタイルもタイの人たちと一緒でした。ご飯も一緒、生活するところも一緒、バスも一緒で。できるだけそこの文化に溶け込もうと意識してたし、生活は楽しかったです。1回だけ怒られたことがあって、月曜はタイの王様の日で、みんな黄色のシャツを着てるんですが、それを知らなくて黄色を着てなかったんです。それで「なんでお前は黄色の服を着ないんだ。王様への敬意を表しなさい」と言われたことがありましたね。

千明:タイに限らず、海外に行くと客観的に日本の良さも分かりますが、タイのほうがすごいなってこともたくさん気づきました。タイは熱心な仏教徒の多い国なので、物乞いの人たちにもご飯を分け与えたり、恵まれない人に施しを与える文化が根づいてるのには驚きました。

店内には子どもの遊べるブースもあり、家族連れも気軽に過ごせる

佳之:毎朝、お坊さんに食べ物などを分け与える習慣があるんです。分け与えることで徳を積むというか。たまに偽物もいるんだけど、自分も見習って食べ物を分けたりしてました。本当に素晴らしくて、そういう習慣が日本にもあればいいなって思いましたね。

千明:それに、タイの人たちって女性や子どもにも優しいんですよ。バスに乗れば必ず席を譲るし、知らない人の荷物も持ってくれて、私もすごく親切にされました。けど、それは私が外国人だからってわけではなくて、すごく自然体にそれができているような感じでした。タトゥーの入った怖そうなお兄ちゃんも普通に席を譲っていて、文化として根づいてるんだなって。

佳之:日本だと人の荷物を持つということに抵抗ありますよね。泥棒だと思われたくないなって思っちゃったり。席を譲るにしても、この人何歳くらいだろうとか考えちゃったり、かえって怒られたりしたらどうしようとか、誰かに親切にしてあげたいと思っても、それを求めてなかったらどうしようみたいなことを考えちゃうものですが、彼らはそれが自然体なんです。

佳之さんの言葉には、柔和ななかにも強い芯が感じられました

−YUMOTO NIGHTを、「知る」きっかけに

佳之さんも千明さんも、タイでは外国人というマイノリティ。だからこそ、できる限りタイに溶け込もうとしてきたはずです。けれど、タイに馴染むほど、帰国後の日本のライフスタイルが息苦しく感じられてしまう。結局、日本でもマイノリティになってしまうわけです。海外への移住経験がある人なら、よく理解できることかもしれません。そういうふたりが運営する場だからこそ、YUMOTO NIGHTは、同じような息苦しさを感じている人たちにとって魅力的な場になっているのでしょう。

佳之:これまで試行錯誤しながらイベントを続けてきました。大きなイベントではないですが、なんというか、マイノリティ要素のある人がむしろ喜んで来てくれている感じなのがうれしいですね。なんでもありのイベントなので、生活に息苦しさを感じてる人たちが来てくれているのかもしれません。そういう方に連れられて、「いわきにもこういうイベントがあるんだ」って反応をしてくれる人たちも増えてきました。

千明:なんか、 同じ匂いの人が集まってきますよね。海外に住んでいましたとか。バックパッカーやっていましたとか。それで、結局「ああ、私たちだってマイノリティなんだな」って逆に気づかされるというか。

佳之:それに、YUMOTO NIGHTに遊びに来てる人って、変な話を持ってる人が多いんですよ(笑)

千明:今、カフェで出している「黒カレー」をもともと提供していた石井さんも変な方ですね(笑)。もともとハワイアンセンターの初代料理長だった方なんですけど、戦後すぐにアメリカに渡って、世界中のヒルトンホテルのシェフとして活躍していたらしくて。たまたまハワイに住んでいるときに、ハワイアンセンターを作ろうとしていた中村豊さんが視察で来られて、そこで「なんでこんなところに日本人のシェフが?」みたいな話から、ハワイアンセンターでの抜擢に繋がったそうです。あとは・・・・、私の通っていた福島高専の先生もたまに来てくれるんですけど、先生もアラスカに7年くらい住んでた方で。変わってますよね・・・。

月に1度開催されている「YUMOTO NIGHT」の模様

佳之:最近は、子連れの方も結構来てくれています。子どもが遊ぶスペースもあるし、少しずつお客さん同士の顔も見えてきて、安心して来てもらえるみたいですね。あとは、外国人とか、外国の文化に触れられる企画もやってみたいんです。今、南相馬に来ているタイ人の技能実習生のタイ語通訳をしているんですけど、こちらにやってくる外国人は日本のことを勉強していても、外国人を受け入れる私たちに、外国への理解が少ないと感じることが良くあって。楽しい時間を過ごすことが、異なる文化を知るきっかけになると思うので、このままゆるく、イベントを今後も続けていきたいです。

湯本の町も、もっとごちゃまぜになると良いなって思ってて。そこで大事なのは、やっぱりお互いの文化を理解し合うことじゃないかなと感じます。外国人をお金のために雇うっていう考えだと、将来的にはうまくいかない。障害者も外国人も高齢者もみんなで共存しながら同じことしましょうよっていう方がうまくいくと思います。郷に入れば郷に従うのが大事だけれど、受け入れる側の理解も大事。そんなことも意識しながら、YUMOTO NIGHTを盛り上げていきたいです。

 

嶌 佳之(しま・よしゆき)

1979年生まれ。茨城県水戸市出身。学生時代にバックパッカーで様々な国を訪れ、日本を見つめ直すきっかけに。海外で日本人としてできる職として日本語教師になり、日本で5年間、タイで2年間教える。帰国後、タイ食材輸入会社に勤め、結婚を機にいわきへ移住。現在は奥さんの酒屋を手伝いつつ、タイ料理の提供、イベント企画など面白くて刺激のあることを追求し続けている。

嶌 千明(しま・ちあき)

1980年生まれ。福島県いわき市出身。福島高専卒業後、中国撫順市に語学留学。中国系の旅行会社に就職し、その後、日本語教師の資格を取得。東京で計10年間、タイで2年間日本語教師として働く。現在も福島高専で日本語教師として働きながら、橋本酒店のカフェバー部門を運営。海外・国内の旅や、様々な国の学生との出会いを通し、多様性について考えるようになった。

 

GochamazeTimesCompany

全国各地にライターやプロボノを抱える編集社。タブロイド紙|GOCHAMAZE timesの季刊発行、および、地域の方々と共創するごちゃまぜイベントの定期開催により、地域社会の障害への理解・啓発|年齢・性別・国籍・障害有無に限らず多様な”ごちゃまぜの世界観”をデザインし続けている。

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